グランドヒルズ南青山|マンション・戸建 情報ブログ

グランドヒルズ南青山

昔の現地周辺について考える

2021年03月08日(月)

未分類

皆様こんにちは。
いつも当ブログをご覧くださいましてありがとうございます。
今回は、昔の地図で現代の渋谷や表参道がどうであったのか気になり、
地図を重ねて、見てみました。

以前のブログ「物件のご案内~特徴その1」にて、現地が以前は大名家の「高木邸」で
あったことはご紹介させていただきました。
(物件のご案内~特徴その1https://www.sumitomo-rd-mansionblog.jp/shuto/minamiaoyama/blog/524/)

地図を並べてみると「青山通り」と「青山霊園」の形でかろうじて雰囲気がつかめますが、
実感がわきません。
現代地図の方は物件ホームページにアップしている地図ですが、45度位傾けると
大体ですが一致します。
昔の地図は精度に劣るものの、地図が出された安政4年とはいつごろかと
調べますと、西暦1857年。1854年にペリーが日本に来て日米和親条約を結んだと
ありますから、江戸時代末期ということになり、ある程度お屋敷が立ち並んでいた
最後の形といえそうです。

試しに、おそらくこのあたりではないかと思われる場所に駅を配置してみました。
昔は公共交通機関などなく、一般には歩くしかなかったわけですから
道路はしっかりあるようですが、今のように縦横無尽にはないようです。
青山通りは幅も広くしっかり整備されているように見受けられます。
明治通りは以前に川が流れてたことが分かりますし、現在青山学院がある場所は、
「松平左京大夫」と記されています。
また高木邸も相当な大きさですが、青山邸は現在の青山霊園あたりから
外苑東通り(ミッドタウンのある通り)くらいまであり、往時の権勢を
垣間見ることが出来ます。
もっと大きい古地図を見たことがありますが、江戸城下町にあたる神田や
城東地区は区画が小さく、もっと密集していました。
青山周辺は大名の下屋敷が多かったこともあるせいか、区画割が大きいです。

それにしても、渋谷駅が出来るであろう場所には「田」と記されています。
それにあまり建物がありそうな気配もありません。
この地図が作られた頃、誰が今の渋谷のような姿を想像できたでしょうか…
驚きを感じます。(六本木もそうですが)

締めがございませんが、今回はこのあたりで。
今後も是非当ブログをご覧ください。
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